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タイトル: なつかしアニメの「なつかし」の理由
日付: 2002年 05月 04日 16:20

市場開拓しないアニメ〜和製"アニメ文化"はもう成長しないか減衰する〜

地上波でアニメ番組の放映期間が3か月ベース(1クール)になってひさしい。
さらに再放送もろくにされない。小学生の長期休みに再放送があっても途中で終わってしまうし、有料放送やBSではわざわざ見ない。
アニメの製作側はコミックなどで人気があり、3ヵ月の放映とそれによる短期的なビジネス(関連書籍&グッズ、DVD/ビデオ、イベント)が成立してしまえば、そのあとは手をかけることもない。
おかけで「懐かしアニメ」のラインナップは更新されず、TVではペットボトルづめのお茶のCMにハイジが出演し、某玩具企業はプラモデルのリメイクで収益をまかなっている。

先日、宮崎駿監督が海外での賞をうけた際のインタビューで、宮崎氏が賞を取ったことが日本のアニメ文化に評価を受けたというのはまったくの誤解で、他のアニメーション作品にはひどいものが多く大人の良識が疑われるべきだ、というようなことを語気を荒げておっしゃっていた。
宮崎アニメにいろいろ私が個人的に思うところはおいておくが、確かにそのとおりだと思う。

最近のアニメが深夜枠でしか放映できないのはなにも予算やスポンサーだけの問題ではなくて、作品の内容として放送メディアが「子どもに配慮する時間帯(17時〜22時)」として自主規制している枠では放映できないような内容だからでもある。
(とはいえ、過去の作品で現在の放送コード(巷で言う「放送禁止用語」)の問題で地上波で再放送できない作品もあることは間違いないのだが。)
サブカルチャーである「アニメーション」という表現手段に、活字メディアにおいて学問からレジャー、アダルトなどのジャンルがあるのと同様に表現内容が千差万別であることを日本のいい大人は理解しようとしないことも問題であろう。
宮崎アニメの受賞によって、日本のアニメーション全体が世界レベルで評価されたと思ってしまう人の思考は、児童文学とポルノ小説を同列に見るに等しい。

ビジネスとして収益が見込めるコミックのアニメ化に連なる短期ビジネスとしてのアニメが製作され消費される中では、「アトムを見て科学者を志した。」とか「ガンダムで戦争の悲惨さとむなしさ、コミュニケーションの大事さを知った。」とか、「クララが立つシーンから医療の道を選んだ。」と言うような人は、いまのアニメを見ている人の中からは今後出てくることはないだろう。
つまりアニメはすでに将来の文化とそれを担う人々への影響力を失ってしまっているのである。
(付け加えて言うなら、宮崎アニメはこのようなことに貢献しうることを作品テーマとして扱っていないと思う。「千と千尋の神隠し」をみて将来希望するライフワークを考えられるだろうか?わたしは「紅の豚」「天空の城ラピュタ」は大好きだが、パイロットや工場工員にはなろうとは思わないし、鉱夫も勘弁だ。)

では、なぜ過去の「懐かしアニメ」は文化的影響力を持つほど記憶に残っているかというと、ビジネスモデルがいまのゆがんだ短期決戦主義ではなかったと共に、再放送で何度も放映されていたからである。
モノクロの作品は別としても、「機動戦士ガンダム」や「ルパン三世(パート2)」などは飽きるほど再放送された。家庭用ビデオの普及率がいまのパソコンの普及率にも及ばなかったころにも関わらず、何度も繰り返し見ることができたのである。
夕方5〜6時や日曜の昼に2話ずつ再放送という枠さえあった。他のアニメも同様に、わたしが生まれる前の作品でさえ複数回見ることも当たり前にあったのである。
その頻度は、「新世紀エヴァンゲリオン」が劇場版公開にあわせて深夜枠で2話ずつ放映されたなどという回数とは比較にならない。
「あらいぐまラスカル」「母を訪ねて三千里」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「赤毛のアン」「トムソーヤの冒険」「天才バカボン」「どろろん閻魔くん」「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」「魔女ッ子メグ」「UFOロボ・グレンダイザー」「マジンガーZ」「未来少年コナン」、そして「タイムボカン」シリーズなど上げればきりがない。

そして再放送は市場開拓の手法でもある。「継続は力」という言葉そのままである。
近年のキャラクタービジネスでは、この先人の功績を食いつぶしているだけに見える。発売されるアイテムの商品としてのクオリティーは高いのだが、キャラクターとして新しいものがあまりに少ないし、そのカラを破ろうとする作品はあるにしても、短期的収益面から放映時間の変更、話数の削減などによって阻まれてしまう。
短期ビジネスで荒利を稼げない作品は育ててもらえない。企業の中途採用や派遣社員の優遇と同じで、教育や先行投資という余地が、そこにはないのである。

その束縛から逃れようとすれば、宮崎駿や押井守などのように独立独歩する力が必要になる。そして独立独歩の根源となる力は、じつはサブ・カルチャーへの貢献などという慈善ではなくクリエイターとしてのアイデンティティーの確立への欲求であって、その結果は将来のサブ・カルチャーの土台になるようなものではない。
だが、自己実現のもつ力というのは強固なもので、海外での評価をうける作品というのは、そういうクリエイターが作った作品である。
これに対し、日本的ビジネス手法で作ったアニメ作品は評価どころか国内でさえ長期的寿命を持たない。最悪の場合は原作となった作品まで巻き添えにして短命に終わるものさえあるのだ。
市場開拓の労を厭い、資産顧客や短期利益の数字のみを偏重するビジネスのやり方は、いまのご時世ではキャラクター/アニメーション・ビジネスに限ったことではない。
だが10年残り、その後まで作品として寿命をもってのこるものを作り出せない日本の現状のアニメーション業界とキャラクタービジネスは、先人の遺した「日本のアニメ文化」を食いつぶした後、材料がなくなって餓死するののではないだろうか?
そしていまのギャラクター・ビジネスにファンとして群がっている青少年たちも道連れにされそうな気がしてならない。


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