歴史index | 府中市 | 浅間山 | 2014.6.23 | |
武蔵国分寺縁起にある人見山(浅間山)の由来 冨田悦哉
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『武蔵名勝図絵』を読んでいたら、人見山(浅間山)についての記述を見つけた。 『武蔵名勝図絵』 多磨郡之部 巻四 府中領 国分寺伽藍跡の項 |
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これは私の勉強のために資料を引用し、覚えのために注記を付したものである。 資料に誤りがある場合は、その旨を注記した。 引用は私の読み下しのために表記を変更している場合があるので、正確を期すためには原書にあたる必要がある。 |
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メモ | ||||
『武蔵名勝図絵』 多磨郡之部 巻四 府中領 国分寺伽藍跡の項から |
『武蔵名勝図絵』が引用している「縁起略」は江戸時代半ばに刊行された『医王山国分寺縁起』らしい。 国分寺:奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうちの、武蔵国の国分寺。現在の東京都国分寺市(府中市の北隣)にあった。中世の戦火で焼亡の後、新田義貞が後継寺院として医王山国分寺を建立。 源頼義:平安時代中期の武将。河内源氏2代目。源義家の父。陸奥守・鎮守府将軍として永承6年(1051)から《前九年の役》を戦うが、後に陸奥守への再任に失敗。 同郷:現府中市近辺は「小野郷」であった。 曾て見へず:(かつて見えず)全く見えなかった。 人見山:現在の東京都府中市浅間山の古名である。 珊底羅大将:(さんてぃらたいしょう)薬師如来を護衛する十二神将のうち第七願除病安楽と巳の方角を司り法螺貝を持つ。 |
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考察 |
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