2008・4・27 ホームページの配置を変えようとしたら、何故かもとへ戻らなくなって
しまいました。古い本を引っ張り出してみたのだけど、消えてしまった中味が
どこかへいってしまいました。一から出直す・・・という自信もないので、残った
ところだけこのままにします。
しりとりが残ったのは不幸中の幸いというか・・・・
もっとも・・・あまり流行ってないみたいですね。
2008・1・19 平塚の「ラスカホール」の「New years concert」へ。
1曲目はモーツアルトのファゴット協奏曲。ファゴットのソロ曲は初めて聴いたが
なかなか素敵だ。モーツアルトが18歳の時に作った曲だとか。
2曲目はブリテンのセレナード。24歳のテナーと27歳のホルン奏者。3曲目は
モーツアルトの交響曲第40番。これは聴きなれた曲。
終わってから打ち上げのパーテイーに誘われたので出席。
ワインとビュッフェで、またまたオーケストラのメンバーの人の演奏がはじまった。
最初は3人のメンバーの演奏。2曲目は何と!都はるみの
「さようなら〜さようなら・・・・好きになった人♪」、そこでびっくりしていたところ、
最後に現れたファゴット奏者が布施明の「摩周湖の夜」を。そして途中からは
ファゴットの尖端をがばっと外し!それをマイクに布施明そこのけの熱唱を!!
あまりにすばらしいので、指揮者の手塚幸紀さんに「あの人はこっちがプロ?」
と聞くと、「そうだ」という返事。やっぱり!!
演奏旅行などではこういうすばらしい事件がしょっちゅうなのだとか。
それで思い出したが、俳人は歌がうまらしい。カラオケなどでは大いに
燃える人がいるという噂だ。何か共通点があるのだろうか?
2007・7・16 二宮の海辺のインド料理店に行ったら、駐車場に蜻蛉がいっぱい。空が暗く
なるほどだ。何だか天災の予兆のような気がする。新潟では大きな地震が
あったとか。水道が止まり、電気が止まり、瓦斯が止まったら大都会東京は
いったいどうなるのだろうか?
2007・7・3 美樹家の天牛はいつの間にか2匹にふえていたとか。桑の葉について来たらしい。
そしてこんど現れたのは何と!百足(ムカデ)!!
博士の就寝中だったために、真夜中の大捕物に。
2007・6・30 美樹さんの家に天牛(カミキリムシ)がやってきました。くわしくは胡麻斑天牛
(ゴマダラカミキリ)というそうで、おとなしくしていると桑の葉をサクサクと
食べているそうですが、威嚇するときは「ギーギー」と鳴くとか。
髪切虫ともいうぐらいだから、髪の毛を与えてみたらどうでしょうか?
美樹家の浩平博士に飼育をおまかせしましょう!!
2007・6・27 大田区にある野鳥の森公園へ。開園まもなくということで誰もいない。
迷ひ入る緑陰にある風の道 山雀
野鳥観察所の先に干潟がひろがり、杭の上には鵜がいっぱい。
望遠鏡の中に川鵜のゐて涼し 麗湖
蟹求愛鋏開閉くりかへし 蘭奢待
わが偉大なるDNA保存のために鋏をひらひらと熱烈なアピール。
むつごろうにそっくりなのも走っているが、トビハゼなのだとか。
白靴や板を渡して泥湿地 夢子
草地には卵の殻がいっぱい落ちている。はじめはお弁当のゆで卵の
殻かと思ったが、どうもそうではなさそうだ。
攫はれし卵のゆくへ南吹く 紅茶
ところで、とても暑い一日。ペットボトル2本の水分では足らず、脱水症状気味。
4時には大井町に舞い戻り、6時から句会の幹事。二次会を含めてハードな一日。
2006・10・24 急に日帰りで由美子さんと京都へいくことに決定。朝7:30に品川駅に
集合。嵐山のトロッコ駅へ。屋根の透けている席に座り保津川の渓流と
ぼちぼち紅葉のはじまっている山を見学。
三分の一ほどはトンネルだったが、気持の良い流れに沿ってのトロッコだ。
ここを片道「川下り」をすることも考えたが、しなくてよかった!聞くところに
よると、ときどき落石とか転覆の死亡事故があるとのこと。
嵐山のほとりで昼食をとっていたら、ブルカを着た女性の混じるバスの一団に
出合った。最近読んだ「サフラン・キッチン」(ヤスミン・クラウザー)を思い出して
ちょっと感慨深く眺めてしまった。どこの国かは正確にはわからないのだけど。
そこからこんどは三年坂へ。ここで山椒の効いた(効きすぎ!)お煎餅を
買おうと楽しみにしていたのに、何とお休みだった!清水寺へはラッシュ
並みの混雑だったので断念。ぶらぶらと三年坂・二年坂と降りて、
こんどは南禅寺へ。この辺でつるべ落としの日も暮れ、雨も降って来たので、
少し早めに「順正」でお豆腐料理と菊酒で乾杯。ゆっくりと時間が流れたというか
あっというまに過ぎたというか、京都の一日は終った。
2006・10・17 大井競馬を見に行くことになった。大井競馬場は高速道路の乗降りに
よく通るが、中へ入るのははじめて。5階席は広い応接室になっていて、
テラスからは競馬場を一望、おまけに真下がゴールになっている。
あらかじめ長男の友人に、有望な馬の名前を教えてもらっていたので、
そのアンチョコを片手に・・・しかしマークシートになっている馬券の書き込み
は意外と難しく、まるで受験生になった気分。ひとつだけ、単勝というのに
1000円入れたら1500円になった。どうも有名な馬だったらしい。
アナウンスを聞いていたら「なんとかシンボリー」といったので、シフォン家の
馬だと思い、由美子さんと急いでかけたのだけど、何とビリから3番目だった。
その昔、今日一緒のメンバーの中のひとりの持ち馬「マンハッタン・カフェ」という
ものすごく強い馬がいた。それで俳句の友人に10000円を渡して馬券を買って
もらって29000円になったことがある。ちなみにおたまじゃく子は玄米茶さん
に1000円買ってもらったら2900円になった。競馬場は広々として涼しく、
とても楽しかったが、これで一儲けしようと企んでも確率は非常に低い
のだろうと思われる。
2006・9・25 夕方玄関のベルが鳴って、お向かいの家の方が「雅子様がお帰りに
なってますよ」と教えて下さった。母方のおじいさまが無くなった
とのこと。もうじき家の前の一方通行を通られるらしい。警備の人が
私服を含めてちらほら。三台の車のまん中の白い車だそうで、いちおう
カメラなど持っていたのだけど、たんなるお里帰りではないので
窓も閉まっていて、写真をというわけにはいかなかった。しかしせっかく
だから、制服のおまわりさんに「この間のイグアナはどうなりましたか?」と
聞いてみたら、何と網を持って駆けつけてくれたおまわりさんだったらしく、
その日に飼い主が現れたと教えてくれた。あとで、どの辺に住んでいるのか?
と聞けばよかったことに気がついた。こんどまた聞いてみよう。
2006・9・7 今日のYahooのニュースに羊を呑んで動けなくなった蛇の写真が
載っていた。まるで象を呑み込んだうわばみのようだった。
ところで8月にうちにやってきた怪獣はその後、美樹さんの家の
小学3年生の博士くんに聞くところによると「グリーンイグアナ」の
雌だとのこと。凶暴なのだそうだ。あのあとどうなっただろうか?
おまわりさんに「お知らせしましょうか?」といわれたのだが、あわてて
断ってしまった。(あとでおたまじゃく子に文句をいわれたが)
テレビでもワニがマンホールに逃げ込んで大捕物が演じられていた。
最近は窓を開けるとき、何かいないか確かめることにしている。
2006・8・23 朝、窓を開けたら手すりに青い怪獣が !110番に電話すると
自転車に乗ったおまわりさんが二人、網と棒と袋を持って来てくれた
ベランダに出たり庭に出たりして大追跡。途中でパトカーのおまわり
さんも二人増え、網に入れたり逃げられたりの大格闘の末、植え込みに
入りこんだ怪獣を若いおまわりさんが手づかみで逮捕。
白い大きな袋に入れられて連行されて行った。もし飼い主が現れな
かったら「飼いますか?」と聞かれたがきっぱりと断った。
しかし、110番に電話した時に「首輪はしていますか?」と聞かれたが
いったいどこが首なのだろうか?あとでインターネットや図鑑を見たら
グリーンイグアナのようだったが、今年の夏、最大の事件だった。
2006・8・15 長谷川町子記念館に行ったら抽選で家が当たった。土地の権利書も
もらった。駅からも、さざえさんの家からも近くに小さな家が2軒。
2006・4・15 昨年亡くなったゆふさんのお墓参りに九品仏のお寺へ。
花は葉に会へずに過ぎしひととせや ともひこ
2006・4・3 市川の真間山弘法寺の枝垂桜を見に行った。風生桜ともいわれ
まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生
の句碑が建っている。風の強い日ですごい桜吹雪にあった。
2006・3・30 北の丸公園へ。春の季語がいっぱい。夢子さんの元受持ちだった先生に
案内をしていただいた。さすが専門家だけあって花蘂の数も分析的に
説明してくださった。
若き日の声衰へず初さくら 夢子
2006・3・19 ぶらぶらと目黒の自然教育園へ。貝母(ばいも)の花や片栗の花、
一人静などなど・・・・。帰りはイタリアンへ。
2006・3・17 吟行で小石川後楽園へ行った。風が強かったがそろそろ桜の花が
開きかけていた。いろいろな季語があるもので、ノートには花の名前が
ふえるばかり。これを俳句にするのが一苦労。7句出句でした。
2006・3・13 達朗さんの一周忌も近いというので北鎌倉の浄明寺へお墓参りへ。
もう一年も経ってしまった。しかし別れというのは何てさりげないのだろう。
2006・3・・6 東海道線の「由比」へ。桜海老はまだ解禁になっていなかったが、
東海道五十三次の難所さった峠から海を見た。雨が降っていなかっ
たら、広重の浮世絵とそっくりの富士山が見えたはず。
2006・3・3 根津美術館にお雛様を見に行った。虎屋さんの14代目の方が娘の
算子さんのためにコレクションされたそうだ。算子さんというのは
1897年生まれというから、今の17代目の光博さんのおばあさまなの
だろう。こんな雛道具を見たら子供ならおままごとに使ってしまいそうだが
ちゃんと保存されていて、何だか昔あった雛道具の長火鉢を思い出して
胸が痛くなってしまった。帰りに桜餅を買ってきた。
2006・2・28 〈校庭のプールの声の入れ替はる〉という句で大賞を受賞された方の
祝賀会に京王プラザにいったら、お雛様が飾られていた。源氏物語が
テーマだが、このイナバウアーは「葵の上」だそうだ。屏風の模様で
逆さまでないことを証明。現代ものらしく触ってみたら硬かった。
2006・2・12 天王洲のアートスフィアへ和太鼓のコンサートを見に(聴きに?)行った。
大井権現太鼓は古くから大井町に伝わる太鼓。小さな子供たちもメンバーで
週に二度は練習するとのこと。太鼓の音というのは何か原始の血が呼び
覚まされるようなところがあるようだ。すごい迫力!ケイタイで撮影。
2006・2・2 沼津の狸島へ。空いっぱいに怪しい雲。昨日ちょっと大きな地震があった
ばかりなので、自称・地震予知専門家、他称・地震フェチの夢子さんは
大騒ぎ。この離れ島に津波が押し寄せることを想定して朝方まで「辞世の
句を・・・」とがんばったがついに出来ず、おかげで次の日はとんと使い物に
ならなかった。駅のホームで立ち食いうどんを食べて温まった。
2006・1・23 去年から鉢植えの薔薇に小さな蕾がついていた。あまりの寒さにきっと
薔薇はそのままなのだろうと思って悲観的に眺めていたら、雪の中で
開きはじめた。伐ってコップに活けたら・・・まさに冬の薔薇となった。
2006・1・14 大磯のどんど焼きに行こうとお飾りを取っておいたら、何と朝から大雨。
二宮に行く用事もあったので雨天決行!7時の点火を待って食事をして
いたら、いきなりすごい「冬の雷」。ガラス張りのレストランは停電で真っ暗。
雨の中、どんど火は勢い良く燃え、お神輿を担いだ人たちは荒波の中へ。
あとで聞いたら雷はNCRの避雷針へ落ちたのだとか。
2006・1・6 あっという間に・・・4ヶ月もたって、2006年になってしまった。
日本中に雪が降っているのに東京は元旦の夜に雨が少し降っただけ。
乾燥しているのが気になる。さて、そろそろ初句会。地方の方は来られる
のだろうか?
3日に行った浜離宮の鷹狩の写真。汐留の電通ビルの天辺から鷹匠の
手に一直線に飛んできたのはすごかった。
2005・9・1 暑い暑いと思っているうちに、俳句のほうはすっかり秋の季語になって
しまった。先日一泊で小諸に行った。ちょうど台風の時だったが、雨にも
降られず持って行った傘も邪魔なくらい。東京はすごい雨だったらしいが。
2005・7・24 越谷の近くの北川アというところに「虫追い」の行事を見に行った。
無形文化財に指定されているこの行事も、あと数年でなくなってしまう
とのこと。確かに5メートルぐらいの藁に火をつけて畑の中を大勢の人が
練り歩くのだから、昔ながらの畦道ではなく宅地がふえつつある場所では
無理なのかも知れない。点火してその藁の筒を横抱きにするとたちまち
炎が立ち上がる。立てて持っていれば何とかどーめん橋という終点までは
火傷しないで持ちこたえるのだが。持つのが子供達が多いということもあって
はらはらしてしまう。神社で「東京の俳句会の方々へ・・・」というアナウンスが
あったりしたところをみると俳人の参加が多いのだろう。帰りうっかり喉が渇
いたばっかりに、二次会らしきお誘いにのったら、いきなり細長い紙切れが
目の前に現れた!帰ってからゆっくり考えようと思っていたのに・・・・・、
ぱにくって由美子さんと私は3〜4句を置いて「車が待っていますから」と
ものすごいスピードで逃げてきた。思いがけないことってときどきこうして
起こるものなのだ!しかし畑の間の道をゆく松明の行列は幻想的だった。
2005・7・16 〇〇氏のご招待で熱海の小嵐亭へ。夫同士、妻同士が友人という稀な
関係のとても気楽な旅。帰りは箱根に寄り新しく出来た「ルネラリック美術館」
に行ってみた。オリエント急行でのアフタヌーン・テイーは予約いっぱいで
入れなかったが、美術館はとても素敵だった。どちらかというとラリックより
ガレとかドームのほうが好きだけど、モダンなものよりクラシックなものに
とても雰囲気があって久しぶりに胸がときめいた。
庭にモネの池があった。おたまじゃく子と昔、パリからジベルニー行きの
ローカルバスでモネの家に行ったことがあったっけ。
2005・6・17 長男の中・高と野球部でいっしょだったたろうくんが、プロとして音楽
活動を始めた。もともとお祖父さんの代からの音楽一家だったから、
そんなにびっくりするようなことではないのだが。
野球の試合には子供だけでなく親まで熱中していたから、ママともよく
応援に行ったものだ。ママは学生時代A学院では美人で有名だったらしく、
パパの憧れの人だったとか。彼女は家にいるのが好きな人だったが、
応援にはとても熱心だった。たろうくんがピアノを弾かないでノックの練習
ばかり熱中しているので、よく怒っていたっけ。
野球部は親同士も仲良く、いちど河豚をみんなで食べに行った。子供は
といえば野球の練習のあとわが家に集り、大きなお鍋いっぱいのカレーと
サラダでデイナー(?)をし、やけにリラックスして待っていたっけ。
たしかあの時は、たろうのママも私も鰭酒を5杯ぐらい飲んだ記憶がある。
それでいて何ともなく普通にしていたのだから、今思うと若かったのだろう。
今回発売された「風のわだち」「あなたとわたし」は何だか懐かしい感じの
とても素敵な曲だ。それにしても時の過ぎて行くのって何て早いのだろう!
あまりにも早すぎて、そのうち時間に追い越されてしまいそうだ。
2005・5・28 まりこちゃんがロスから来ていて明日帰るというので会いに行った。
友人と3人で銀座の天麩羅屋さんで食事をして「今終った!」という電話で
表に車を停めて待っていたのだがなかなか出てこない。迎えに行った夫も
またまた出てこない。何でも支払いをしようと思ったらクレジットカードが
盗難扱いになっていたらしい。シテイバンク勤務の夫の家族としては異常な
出来事だ。国際電話をかけたりしてやっと解決したらしい。「この程度の支払
いをするのに何でこんなやっかいな!!」と大演説をしたのは勿論だ。
しばらくあのお店にいくのはよそう!夜景が見たいという友人達のために
お台場のホテルの33階のラウンジでカクテルを飲んだ。ココナッツにラム酒の
入ったフルーツのデコレーションの派手なカクテルだったが。そしてまた彼女の
カクテルに「私のはラムが入ってない!」と演説。友人の一人はアルコール
抜きを取ったので向こうが間違えたのかも知れないが。夫のデイックがいかに
偉大な人物か!!という4人の共通意見は大いに盛上った。
しかし、心は通じるとしても、わからない言語コミュニケーションには疲れた!
2005・5・27 眼鏡を作りに行った。光るものが入っているのはダメ、縁なしもだめ・・・・
「ヨーヨーマのような眼鏡!」といったのだが、どうもわからなかったらしい。
でもお客さんで「所ジョージと同じ眼鏡」を注文した人がいて、事務所まで
問い合わせたことがあるらしいので、もしかしたら今頃国際電話をかけて
ヨーヨーマに聞いてくれているかも知れない。もっともその眼鏡が私に
似合うかどうかはナゾだ。本を読むときしかかけないのだけど。
2005・5・14 今日はやるべきことが一気に片付いてのんびりしていたら、植木屋さんが
来てくれた。今年初めて花をつけたもっこう薔薇が思い切り繁殖しているのと
そこにうどん粉病的兆候が見られること、そして鉢の薔薇に虫がいたので
消毒液をぶちまけたら何だか枯れそうになったこと、ちょっと暗い気持になって
いたところなのだ。車庫の冬青(そよご)の木も、常緑樹なのだけど、健康的な
新芽が出て、もういちど消毒をしてくれるということで、大いに悩みが解決した。
2005・5・12 この間、新聞にツタンカーメンの復元された写真が載っていた。何でもミイラを
CTスキャンに入れて骨格からコンピューターで復元をしたらしい。
人間は神秘の領域にどんどん入り込んでいくつもりらしい。安らかに永遠の
眠りについているものまで呼び覚まそうというのだろうか?
2005・5・4 連休中でも都のゴミの収集は来てくれる。ゴミを出そうと裏に廻ったら、隣の
塀から伸びている蔦に銀色のきらきらする紐が伸びていて、目を凝らすと小さな
毛虫がものすごいスピードで下りてきた。良く見るとあっちにもこっちにも。
家に入って窓を開けたら網戸にもベランダにも!慌てて着ていたものを総点検。
そうしたら怖れていたことが現実に!Tシャツの胸にも1センチぐらいの毛虫が!
2005・4・24 玄関のもっこう薔薇がやっと茂ってきて蕾もちらほらついている。いつ頃
咲くだろうか?今日は越冬した金魚に新しい仲間を買ってきて入れた。
ほてい草も入れていよいよ金魚のシーズン到来だ。
2005・4・16 今日は「俳句朝日賞」の受賞式とパーテイーが東京會舘であった。いつも
思うのだけど俳句のパーテイーは平均年齢が高い割にはとても賑やかだ。
ブッフェのお料理もあっという間になくなる。きっと食欲はエネルギーのもとに
なるのだろう。パーテイーのあと親しい人ばかりの集まりがあった。他の結社の
方も何人か入って下さってとてもなごやかな会になり、大いにほっとした。
2005・3・29 嬉しいお知らせのあとに悲しいお知らせを書くのはとても残念だけど、書か
ないというわけにもいかない。実は26日酔芙蓉のメンバーの達朗さんが
亡くなった。このところ入退院を繰り返していらっしゃったが、病状のわりに
お元気そうでもあったので、一日でも長く平穏な日が続くように祈っていた
のだが。通信で酔芙蓉を始めて6年半たつが、まったく俳句とは関係のない
生活の人も含めて気長に、そして時には厳しく指導をしてくださったこと、
感謝の気持でいっぱいだ。これからどうなるのかと途方に暮れていたが、
今日の告別式で葉子さんが「みんなで力を合わせてがんばりましょう」と
言って下さった。義妹の由美子さんの受賞を報告出来たのは幸いだった。
2005・3・23 今日は大井町句会。実は昨日嬉しい知らせがあった。由美子さんが応募し
ていた「俳句朝日」から電話があり、入賞したという通知があったのだ。
「おれおれ詐欺」かも知れない・・・という身内の忠告もあったが、今日正式に
書類が届いた。昨年秋に行った「大津祭」30句。そのお祭のあと、日帰りで
もういちど大津までつきあった私としても、とても嬉しいことだ。昨日からパニック
だったので、句会に持ってくる7句には手がつかなかったとか。表彰式の挨拶が
心配のタネだが、うまくいかなかったら同時通訳をしてあげることになった。
佳きことを告ぐるごとくに揚雲雀 ひさを
春雨の夜に届きたるよき報せ 昭寿
2005・3・18 春先というのはいろいろなことが起こるらしい。お昼過ぎ会社の受付に
おばさんんが現れて「いちばん偉い人を出しなさい!」と。女子社員が
応対すると「私は〇〇子の友人だ!」とのこと。どうも姉妹の一人のことを
いっているらしい。でたらめではなさそうだが、かんじんなところが微妙に
ちがっている。・・・・そしてこんどはいきなり泣き出して帰っていったとか。
たいていのことにはびっくりしない・・・・というのは親のありがたい教育の
おかげで、夕飯の時はみんなで大いに盛上った!
2005・3・16 テレビのスイッチを入れると片っ方では韓国ドラマが流れ、もう片方では
竹島問題で日本の国旗が焼かれている。そういえばずいぶん前だが、
上〇大学の講師という韓国の女性にあったことがある。たしか韓国の文化の
紹介だっただろうか。終ってから友人の友人ということで食事をしたのだが、
何か盛上って「100年の友!」といわんばかりだったのだが、ふと子供の
話になったとたん、急に思い出したらしく・・・子供が夜急患で病院に行った時、
担当の医者につっけんどにされたのだそうだ。そして「韓国人だから差別
をされた!」と興奮しはじめた。私は国際親善のため大いにフォローをしようと
試みたが、「ワタシハ今震災が起こったら自分で助かる方法を考えなくては
日本人には助けてもらえない!」「関東大震災では!!」と、生まれても
いない時の話しにエスカレートして、とても私の力の及ぶところではなかった。
近い国というのはお付き合いが難しい。
2005・2・25 「俳句○究」の新人賞を貰った高○克弘くんはいまや売れっ子だ。24歳と
俳人にしては超若者、しかもジャニーズ系ということもあって、俳句雑誌の
グラビアを賑わしている。おたまじゃく子がその華々しい「白いマフラー」を褒め
たら、何と「そうなんですよ!俳壇のヨンさまをねらってるんですよ!」とのこと。
俳句界の未来は明るそうだ。今朝は目が覚めたら春の雪だった。
2005・2・24 パソコンのウイルスソフトにエラーメッセージが出て、何でも「いままでの
ファイルを全部削除して新たにインスツールして下さい」と書かれていた。
おそるおそるやってみたがいっこうにうまくいかない。結局二日がかりで何とか
元通りになった。そしてわかったことは、このパソコンの動きの遅さのほとんどは
ウイルスチェックのためだということだ。外している間の軽いことといったら!
2005・1・31 長男のいた高校の野球部が春の選抜に選ばれた。45年ぶりだそうだ。
そういえばあの頃の監督の「D」さんは独身で、みんなに「甲子園に行くまでは
結婚してはいけない!」などといわれて、その後どうされただろうか?少なくとも
息子の結婚式の時はまだ独身だったが。朝早くから夜遅くまでグランドにいて、
選手達は勉強するヒマがなかったのだから、監督さんにデートをする時間が
なかったのはたしかだが。あの時はみんな気合が入っていて、食事つくりで
寝込んだママもいたし、実は私も「勉強なんか何時だってできるけど野球は
今しか出来ない!」などと応援をしたものだ。もっともそんな状況の中でも
チームメートの一人は成績優秀者で、卒業生代表になったのだからすごい。
親達は自分の子供ではなく、そのTくんのことを自慢にしていたというのも
今思うと笑える話しだ。・・・ついこの間のことのようだが、ずいぶん時が過ぎた。
2005・1・14 行けるかどうか・・・と思っていた「どんど焼」に行ってきた。大磯のどんどで
焼こうと、今年はお飾りをとっておいた。ついでにと言っては何だが、何年か
使ったクリスマスリースがさすがにドライになりすぎたのでいっしょに・・・。
大磯のどんどは2度目なので、2年前に俳句の人と来た時と違って落着いて
見ることができた。最初は夜の海岸に高々と燃え上がるどんどの炎や、裸で
海に入ってい行く人を見たりしてちょっとパニクったが。帰りおなかが空いたので、
前に行ったお料理やさんに入ったら今日だけという「餅花」が出てきた。
食べてみたら、もしかして・・・・「飾り」だったのではないかという味だった。
海岸では無病息災を願ってこの「餅花」をどんど火で焼くのだが。
2005・1・13 新年句会も終り、法事も終りひと息。池上のお寺にはもう梅の花が咲き始め
ていた。さて今年は何か新しいことができるだろうか?いつも目の前のことに
明け暮れているうちに、たちまち一ヶ月が過ぎてしまうのだが・・・・。
2005・1・4 三が日が終ると何となくほっと。去年から読んでいた藤原正彦の「心は
孤独な数学者」をやっと読み終わった。ニュートン、ハミルトン、ラマヌジャン
のことが書いてある。この作者の本は前から好きで「遥かなるケンブリッジ」
などたてつづけに何冊か読んだ。何年かたってあるとき新聞にこの作者の
写真が出ていて・・・なぜか飛び上がるほどびっくりした。あまりにもイメージが
違ったからだ。とくべつ素敵な人を想像していたわけではないのだが。(めったに
というか99パーセントといっていいほどそんなことはありえないのだから)
それにしてもびっくり。文章とか声で勝手にイメージを作ってしまうのは私だけ
だろうか?俳句はどうだろう?俳句とその作者は一致するのだろうか?
2005・1・1 新しい年がやってきた。大晦日からまたまた人口がふくらみ大賑わい。
大晦日には恒例のおせち料理を3組作り、元旦はお屠蘇を酌みかわし・・・
といつものとおりの行事だが、静かになった時はもう外はまっくら。
昨日作った雪だるまも健在だ。今年はどんな年になるだろう?
2004・12・27 テレビを見ていたら、どこか愛知県らしいのだが、「くまがい草」を咲かせて
いる92歳のおじいさんのことをやっていた。途中から見たのでくわしいことは
わからないが、普通の農家の庭に群生しているのだ。もちろんそのおじいさん
が大切に育てているのだが。俳句をやっていると「くまがい草」などという名に
敏感に反応してしまう。その花は、とても辺鄙な場所にもかかわらず、毎年
遠くから見に来る人がいっぱいいるらしい。咲くのは5月の連休の頃。一週間
ほどで赤味をおびてくると花はおしまい。おじいさんはベッドから起きられなくて
食欲もなくなってしまう。でも、また次の日には元気になって、焼酎のお湯割り
など飲んで、「来年も咲かせよう」と目を輝かせている。のべ、2500人ぐらいの
人の名がノートに記されていた。何だかとてもほっとするような番組だった。
2004・12・26 わが家のクリスマスも終り、ほっとひと息。だいたいどの行事も「食べる」と
いうのがメインだが、最低でも10人は集まるので、相撲部屋とまではいか
ないが、それに近い感じになってしまう。かなりの種類と量を作っているの
だが、あっという間になくなるのにはうっとりしてしまう。
さてこのコーナーが、8月で途切れていることが気になり(といっても私に
とってであって、他の人にはどーってことはないのだが)、2年近くつけていた
フジフイルムのダイアリーを閉めて、こちらに専念することにしました。
長い間見て下さっていた方には sorry です。
2004・8・27 かって日本語を教えていたマット君から電話があった。日本語のぜんぜん
しゃべれない時からのおつきあいだ。週に2回ぐらいだったか自転車に
乗って通ってきていた。日本語検定の3級までとったが、その後結婚して今は
かわいい女の子2人のパパだ。いま英語の先生をしているのだが、こんど
お舅さんがケアーホームを経営するので、ヘルパー2級の試験を受ける
のだとか。「じゃー、そのうちそこに入れてもらおうかしら?」といったら
「ちゃんと面倒を見なさい!!とかいって杖でマットをぶつのでしょう?」と。
そして特別の個室をとってくれるというので「うるさくないように鍵を掛けるん
じゃないの?」というと「もちろん!!」・・・日本語は健在だ。
2004・8・12 今日久しぶりに(いったい何年ぶりか!)中学時代のお友達から分厚い
手紙が来た。ご主人はハルピンに勉強に、二人いるお子さんの一人は
次男で外科医というお婿さんと離婚して帰ってきているとか。おしゅうとさんと
うまくいかなかったらしい。(長男のお嫁さんはノイローゼで亡くなったそうだ)
それで思い出したが、その人は中学のころに社会人のボーイフレンドがいて
よく話を聞かされたっけ。そのころはたいして面白くも思わず聞いていたが、
いま思うととんでもないことだ!私などは片思いの同級生と口も聞けないで
いるときに、そんなおじさん(!)とおつきあいをするなんて!!
思えば、昔は何とも思わないでいたことに、今頃になってはっとその意味に
気がついたりすることがある。頭の中の資料が少ないから理解が出来な
かったのだろう。何十年もかかって気がついてもだいたいのことが手遅れ
なのだけど。今は何でも分っているつもりだけど、それだってあやしいものだ。
2004・7・18 あまりの暑さに、何もしないでいると死体のような気がしてくるので、ミシンを
出してドレス(?)の製作に励んでいる。せめて目に見える製作物があると
生きているという確信がもてるから。おかげで作品は増えるし、喜んでくれる
人もいる(たぶん・・・・)。しかし熱中すると寝食を忘れてしまうのだが。
2004・5・13 最近金魚が少しずつ減っているような気がしていたら、昨日いきなり6匹に
なってしまった。倍以上はいたはずなのに!そしてついに今日おたまじゃく子が
犯行現場を発見。やっぱり、ときどきうろうろしているどこかのぶた猫が金魚鉢に
首を突っ込んでいたのだ。直径70センチの金魚鉢にふたをしようと金網を探しに
行ったのだが網戸にするための網しか売っていない。仕方がないのでそれを
持ってタクシーに乗った。そうしたら運転手のおじさんがその網について
質問をしてきたので猫の話しをした。とたんにその運転手さんは興奮をして、
いかに猫にはひどい目にあっているか、そしてその対策に猫捕り器(鼠捕りの
大きいのらしい)をかけて6匹つかまえて遠くに捨てにいったのだとか!
まったく怖ろしい話しだ。気持ちはわかるけどまさかそんなことはできない。
まえ、鼠捕りに鼠が入っていたのでさえいまだに悪夢なのだから。
しかし猫は凶悪だ。お祖母さんの家の猫はよく鳥を捕まえてきてお座敷で
食べていたっけ。信じられない!猫をかわいがっている人には悪いけれど。
2004・4・20 今日は「桜30句」などというすばらしい(!)企画の締切日で、エクセルに
打ち込んで送ってしまったら、やたら開放感に満ち満ちて(思えば、誰に喜んで
もらえるわけでもない俳句を作ったりしているのも、この仕上げた時のいっときの
開放感のためでもあるような気がしないでもないが)自由が丘に布を買いに
行ってしまった。今年の夏は、少しは人に喜んでもらえるようなことでもしよう
かな・・・・とか思ったりして。長い事縫ったことはないけど、夏服ぐらいは縫える
かも。そういえば昔、ミシンで指を縫ったことがあったっけ。
2004・3・15 昨日はまたまた富士サファリーパークへ。ここへくるのはたしか3回目。
檻の中にいるのとちがって、車のそばをすごいタイガーが通って行ったり、
木の下でライオンが昼寝をしたりしているのはけっこう楽しい。Out
of Africa
という映画の中のサファリの景色は素晴らしかった。物語りも音楽も、ついでに
あの映画のロバートレッドフォードの演じる男性は素敵だ。まあ現実にはいない
だろうけど。まさに、俳句のM子先生の理想の男性像「待っいて帰って来ない人」
というわけだ。(それでかどうか独身なのだけど)。
2004・2・29 あっという間に三月になってしまった。Fujiのデジカメのダイアリーというのを
つけていたら1年もたってしまった。1年で消えて行くらしいけど。
というわけで、あっちこっち手が回らなくなって、目の前のことに追われていると、
時間ばかりが過ぎて行く。最近夜空には星がいっぱいだ。どうしてこんな都会で
星が見えるのだろうと不思議なくらい。もしかしたらオゾン層が破壊されている
せいなのかも知れないと思うとちょっと不安だ。もっとも心配したって始まらない。
2004・1・1 新しい年の始まり。毎年、手順よく楽ちんにすませようと思いながら、何故か
同じくばたばたしてしまう去年今年だ。おせち料理のお重も4組も作ってしまう
という異常さ。おかげで話題の曙とボブサップの一戦の話題にもついていけず、
歌番組を見ても歌手の名前もわからない!NHKのすばらしい南極のシーンに
うっとりとしかかったら、ちょうど終るところであったり。
今年はどんな年になるだろうか?ゆっくりと考えてみなくては??
2003・12・6 この聖家族はポルトガルのロカ岬に行く途中の田舎の小さなお店で
見つけたものだ。そのお店はお爺さんが細々とお皿やカップを焼いて売って
いるようなところで、ふと棚の隅をみるとこの聖家族が埃をかぶって置いて
あった。旅行中にこんな壊れ物を持って歩くのは大変と思ったけど、買って
しまった。言葉は通じなかったが、ハンドメイドだということはわかった。
そのあと大きなお店も沢山見たが、こんなに素朴で素敵な聖家族はどこにも
なかった。値段はびっくりするほど安かった。きっとみんなから忘れられて
そのままになっていたのだろう。毎年十二月に飾るのを楽しみにしている。
2003・11・19 気候のよい時はあっというまに過ぎてしまい、すこし寒くなってきた。先日
植木屋さんに来て貰って庭もすっきりとしたし、ちょっと早目ではあるが
クリスマスツリーまで飾ってしまった。あとはチョコレートの飾りをつけるだけ。
もっともこれはあまり早く吊るすとひとつへりふたつへり・・・してしまうので
間際にするとして。今年は玄関に飾りでもしてみようかなどと思っている。
2003・10・19 15・16日と草津に吟行に行った。泊りの吟行は久しぶり。上野から長野原
まで行き、そこからバスで草津まで。途中はっとするほど紅葉しているのは
漆紅葉だろうか。ホテルからガイドさんが付いて天狗山というところまで行き、
そこから「なだらかな道です!」というところを一列になって登った。田舎で
「駅はすぐそこです!」などといわれて近かったためしはないが、こんどもやはり
けっこうきつい山道だった。途中で真っ赤な茸に出会ったりしながら終点まで
着いたら、氷室があった。真っ暗だったのでほんとうに氷があるかどうかはわから
なかったが、いくつかある洞穴の中には光蘚(ひかりごけ)が生えていて、怪しい
光を放っていた。山の木々はすばらしく紅葉していてどきどき・・・といっても山道
のせいでもあるが。帰り「平らな道でほんの少しです!」という案内には騙されず
マイクロバスに乗ったのは正解だった。夜は吟行には珍しくフランス料理。
そのあと10句という句会。句会場の隣が卓球場だったらしく賑やかで俳句と歓声
の競演となった。解散の後部屋でまたまた席題がでて10句も!私以外は句歴
30年またはそれ以上(?)という人ばかり。次の日はバスで白根山へ登り、
コバルト色の湯釜という火口湖をみて、近くの弓池をひと回り。そこからまた
草津の町に下りて湯畑と西の河原(賽の河原ではない)をみて帰路についた。
いや、そこでもうひとつ、いやもうふたつおまけがついた。ひとつは帰りの汽車の
中で席題7句、そして宿題10句という大大おまけだ。揺れる汽車の中でぎざぎざ
の字を見ていたらすっかり気持ちが悪くなってしまった。これはきっと急性俳句
中毒にちがいない。慢性にならないうちにと家に帰ってばったりと寝てしまった。
2003・9・17 コンサートって続くときはけっこう続く。今日は佐藤しのぶさんのコンサート。
いつかサントリーホールでは「しのぶちゃんコール」がおじさんたちからかかって
いささかびっくりしたが、彼女は美しいからいいとして・・・(私は人前で人に夢を
売る人達は絶対に美しくあるべきであるという説で、俳句雑誌にひっくりかえる
ほどの写真を載せる俳人を疑っているのだが・・・。だいいち、お相撲さんだって
いくら強いからって、醜いのは許せない!・・・・・これは余分でしたね)今日の
コンサートのテーマは「フランス」。それで気がついたけど、「愛の国フランス」は
どうも私の好みではないらしい。優柔不断というか、「ああでもないこうでもない」
というほど人生は長くないと思うんだけど。・・・・やっぱりオペラはイタリアですね。
2003・9・13 久々にオペラを。チェコのボヘミヤ・オペラ「椿姫」。「乾杯の歌」から始まり、
ヴィオレッタとアルフレードの恋のアリアにうっとり。休憩時間にオレンジシャン
ペンを飲んだら、はこさんのお友達がアルコールに弱かったらしく、「嬉しくなっ
たから、舞台に出て歌いそう!」と。もしそんなことになったら他人のふりをしよう
と思ったが無事だった。Bunkamuraのある渋谷はすごい人の波だった。
2003・9・4 朝、出かけたおたまじゃくしから「今日は雅子さまと愛子さまがお里帰りをして
いらっしゃるらしい、駅にいっぱい人がいる」という電話をもらった。そして前の
「月下美人の家」の方もベルを押して教えて下さった。なんでも家の前の一方
通行はお帰りのコースらしい。私服の警察官の人たちがいっぱい。金雀枝の
細かい葉がいっぱい散っていたので掃いていると、いきなり「か○○さん!」と
私服の人に声をかけられた。ぎょっとして見ると、以前うちの会社で働いていた
人の息子さん(その家は三代とも警察勤務)。今は雅子さまと愛子さま、4時ごろ
皇太子殿下がこられて、お帰りは8時ちょっと過ぎとのこと。夕方ごろから人通り
もふえて、1時間前ぐらいからは通行も車も制限されてしまった。家の車3台分の
車庫も鎖を上げさせられ、そこに「すみません、お願いします」という近所の人や
通りがかりの人が鈴なり。長男達もきてけっこう狭くなったスペースで見学。
知人の私服の人のおかげで実況的に状況を教えてもらい、さて車はしずしずと。
窓を開けて徐行して下さったので、こちら側に坐ってにっこりと会釈をされる
雅子様の笑顔をばっちり。写真を撮ったつもりだったが一瞬早く、車と雅子さまと
皇太子殿下らしき影がちょっぴり・・・という感じ。
外国勤務のご両親の夏休み。愛子さまがいらっしゃったのは初めてとのこと。
朝から一日ゆっくりされ、さぞ楽しかったことだろうと思うと、何か人ごとながら
嬉しい気もするが、ちょっぴり胸が痛むのはなぜだろう?しかし雅子さまの
明るい笑顔は魅力的で、とても幸せそうだった。・・・・という一日は無事終った。
2003・8・29 ホームページに「火星大接近」の俳句をお願いしたらあっという間に集まった。
ふだん句会で見かけないような句ができることが楽しい。今考え中という方も
いらっしゃるのでもう少しふえる予定。そしてネームが面白い。「○○さんって
だ〜れ?」と聞かれるが「知らない」と答えることにしている。ほんとうにしばらく
私にもわからないことがあるのだから。しりとりの3句目まで人違いをしていたり
とか。8月ももう終り、しのこしていることがいっぱいありそうだ。
2003・8・24 冷房があまり好きでないので出来るだけなしでがんばったがあまりにも暑くて
つけてしまった。まるで麻薬のように元気がでるが、やっぱり長時間はきつい。
かんかん照りというのはわりと好きなのだが。親戚の群馬の中学の女の子が
俳句をやってるとか。校長先生(女性)が俳人で生徒に俳句を教えているらしい。
群馬は先祖のお墓のあるところだが、妙義山の近くで山が険しく、下のほうに川が
流れていて、しかも大きな熊が出たりするような自然に満ち満ちたところだ。
小さい時に会ったっきりだけど・・・・・ちょっと楽しい話だ。
2003・8・19 昨日夕方、家の中に蟻の大群が出現した。甘いものが落ちているわけでも
ないのに。「季語」だとは思ったが片っ端から退治した。100匹か1000匹か?
聞くところによると「蟻の巣ころりん」というあまり想像力のいらない名前の
薬があるとか。さっそく薬屋さんに行ったら「ころりん」はなかったが「アリメツ」と
いうまあまあの名前の薬があり、ひまそうだったお爺さんが身振り手振り、蟻の
王国を絶滅させる方法を教えてくれた。といってもただ置いとくだけなのだが。
よっぽど効くとみえて買ってきただけで蟻が一匹もいなくなってしまった。
2003・8・13 しばらく句会のない日が続いたので、裏磐梯に行ったり、大井町から遠花火
を見たりとのんびりしていたら、またまた忙しいサイクルに入ってしまった。
台風が来たりで、あまり夏らしいお天気にならない。
2003・8・3 ついに梅雨が明けて暑さの到来。昨日今日と少しまとまった時間があったので、
ホームページを少し更新。しりとり俳句も軌道に乗ってきた。最初は「失敗した
から直して!」というメールが頻繁だったが。しばらく考えていたら次のが入って
一から出直しだったりとか。今日は「大井どんたく」。
2003・7・30 浜離宮に100年に一度咲くという龍舌蘭の花を見に行った。ずいぶん高いとこ
ろに黄色い地味な花が咲いていた。そしてその花のまわりには夥しい数の
蜂が群れていた。きっと百年の蜜の味なのだろう。龍舌蘭は枯れる前に花を
咲かせるのだとか。果たして100年というのは長いのだろうか短いのだろうか。
2003・7・26 今までめったに書き込みのなかった掲示板を「しりとり俳句掲示板」にしたら、
急ににぎやかになった。いかに俳句が好きな人が多いか!
夕方久しぶりに空が晴れた。名古屋あたりまで梅雨が明けたとか?
明日は良いお天気になるだろうか?夏空が待ち遠しい!
2003・7・24 何だかあっという間に日が経ってしまう。ホームページも俳句を載せるのに
精一杯という感じ。掲示板もあまり、というかぜんぜん書き込みがないので、
試しに「しりとり俳句」にしてみようかと思って、今日はあっちこっち更新。
忙しいといっても句会の前に「ワニはいかにして愛を語り合うか」(竹内久美子)
にはまったりしているのだけど。ワニの頭で俳句を作りたい!!
2003・5・19 雨が降っていたがよはなとおたまじゃくしと三人で「どこかに行こう!」という
ことになり、行き先を千葉に決めた。千葉は海もきれいだが山も美しい。
そして魅力的なのが新鮮な野菜が売られていることだ。 おまけにとても
安い!野菜販売所のたびに途中下車しながら勝浦・鴨川をまわり大山千枚田
に行った。田植えも終り水田に雨の水輪がひろがる。帰りはナビのおかげで
またまた遠回りをしながら帰ってきた。夜は採れたてのしじみ野菜そして黄な粉の
草もちなどローカルっぽい食事となったがおいしかった。
2003・5・18 新緑の季節。都内には高層ビルの街がどんどん出来て、天に届きそうなほどだ。
あの街の中には規制によって住居空間もあるらしいが、テラスから間違って
落っこちたりしないのだろうか?と前々から心配していたら、どうやら窓は開かない
らしい。私は閉所恐怖症気味で、句会でも窓のないところに長時間いると酸欠に
なってしまう。もし大きな停電があって空調がストップしたら・・・と思うと恐ろしい。
それにしても東京は人がいっぱいで酸素は希薄にちがいない・・・なんて余分な
ことを考えてしまう。他に考えなくてはいけないことはいっぱいあるのだが。
2003・4・20 桜が咲き桜が散り、日々が過ぎて行く。去年鉢に植えたブルーベリーが枯木の
ようになっていたのを何となく心残りでそのままにしておいたら、まるで魔法の
ように青い葉が繁ってきた。今年プランターに植えた苺も白い花が咲いている。
果たして収穫は期待できるか?底のほうにいた金魚も活動を開始した。
2003・3・13 今日は地震があった。「酔芙蓉」の三月の句会報を仕上げていたので、いちおう
急いで階下のテレビに走ると、東京は震度3だったようだ。以前大地震が来ると
いう噂があった。地域で「なまずの会」という地震予知研究会があって、といっても
ちゃんとした大学の機関の会なのだが、あらかじめFAXが来ることになっていた。
いちどかなり真にせまった連絡があり、そのときそれが大騒ぎになって、それっきり
暗号式になったりしたあげく、引っ越したら来なくなってしまった。(会費を払っている
のだから、会社にはきているのだろうけど)。東京には来ない・・・という噂もあるが。
2003・3・3 今日はお節句。またまた全員集合となるところ、私の負傷で延期。外出が出来
ないので、新しいミシンを取り出してお得意の洋裁を。コンピューターほどの進化
はなさそうだが、昔母が使っていた、今となってはアンテイークのシンガーミシンと
劇的には変わっていない。ただ電動になっているので、下手すると指まで縫って
しまう恐れありだ(いちど経験あり)。ミシン売り場の人に聞くと、けっこう売れている
とか。こんな目まぐるしい時代に、ミシンなんかで身の回りのものを作る人もいるの
だなと少しほっとする。昨夜は春雷がすごかった。もう暖かくなるのだろうか。
2003・2・24 二月は短いだけあってあっという間に過ぎてしまいそうだ。少し古い話だけど
先々週の日曜日、法事があって栃木に行った。100メートルを17秒で走ると
いうのを自慢にしていた親戚のお爺さんが亡くなったためだ。帰りに山の奥の
滝を見ようと細い山道を走っていたら石がガンと車のボテイにあたってそれきり
ブレーキが効かなくなってしまった。そろそろと町まで出て修理工場に行ったら、
ブレーキオイルが漏れているとのことで車を置いて帰るはめになった。葛生という
単線の終点駅から電車を乗り継いで2時間ぐらいかかって浅草まで帰り着いた。
そして次の週、車を取りに行くのに、よはなの黄緑のワーゲンでおたまを加え総勢
4人で仰々しく葛生に向かった。お天気が悪かったので「吟行」も思うにまかせず、
栃木の蔵の町の保存された旧家で、氷入りのくずきりを震えながら食べて帰って
来た。帰りの東北縦貫道で、小三元さんのスピードに震えたよはなは「こんどは
3人で行こう!」と。帰ってから句会が続き、この時の句を捻出し、とても疲れた。
2003・2・15 デパートのガーデニングコーナーで買った組み立て式の鳥の餌台を苦心の末
庭の木に吊るした。しばらく様子を見ていた鳥たちも今は入れ替わり立ち代り
あらわれて、パンやごはんつぶをつついている。ひよどり・目白・四十雀。
去年は楽しみにしていた白木蓮のつぼみをみんな食べられてしまったので
餌を置いてみたのだが、はたして蕾が無事かどうかはわからない。余人さんの
家でも去年鳥にやられたので、今年はやられるまえにこちらで食べてしまおうと
思っているとおっしゃっていたがもう食べられただろうか?生きていらっしゃる
ところをみると毒性はなさそうだ。何だか扶養家族が増えたようだ。
2003・2・1 東京ドームの「国際キルトフェステイバル」に来ているロスの義妹にやっと会う
ことができた。夫はアメリカ人のDickさん。いつか彼が一人で日本に来た時、
家族一同で頭を集めて考えた。「マリコをもらってくれてこんなに嬉しいことはない」
という気持ちを何て伝えようか・・・・と。日本語のわからない彼に伝わった言葉は
「Appreciate」のひとことだった。それ以来喧嘩をして旗色が悪くなった時は(いつだっ
て一方的に旗色は悪いのだが)「あなたの家族は全員私に感謝している!」という
のが切り札だそうだ。父が「マリコは嫁に行っても出るか出されるかする!」と言って
いたがその予言を大いに裏切っているのは何といってもDickさんのおかげだ。
彼女とは長い間いっしょに暮らしたが、昔どおりソルテイドッグを2杯づつ飲んで
夜中の10時から12時までおしゃべりして別れた。こんどは何時あえるだろう?
(この写真の転送が何回やってもうまくいかず、試しにファイル名をmarikoから
typhoonにしたらちゃんと飛んでいった。すごい!!)
2003・1・29 風邪のつれづれに、うちにあった「スーフィーの物語」という本を読んでみた。
スーフィーというのはイスラムの神秘主義者のことらしい。最初に「三匹の魚」、
頭のいい魚と半分頭のいい魚、馬鹿な魚のたとえ話があるのだが・・・・。
「神との愛」について語られているイスラム教はその成り立ちや構造はキリスト教
と共通するものがあると思う。その中には新約聖書には書かれていないキリストの
幼年時代のことが書かれていたりする。この本を買ったのはおたまじゃくしかと思って
聞いてみたら「家にあったので読んでみたけど、魚の話のところで読むのをやめた」
ということだった。たとえ話がわからないというのは親子とも救いがたい!
2003・1・22 インフルエンザかどうかはわからないが、風邪がひどくなってしまってとうとう
幹事をしている句会を休んでしまった。長男から「どう?病院行くんならそっちへ
行くよ」という電話。神奈川県にいる次男から「インフルエンザ用の薬じゃなきゃ
ダメだ!(ガミガミ・・・)」という電話。会社にいる夫からは「入院した方がいい
んじゃないか?」という極端なご意見。(どうも次男に「死亡する人もいる」と脅か
されたらしい、二人の思考回路は似ている!)直りかけた時にお医者さんに行って
よけいひどくなった。心配してくれるのは嬉しいがゆっくり眠らせてほしい!
おたまじゃくしは「三つ葉を一番先に入れてしまった!」とおじやを作ってくれた。
2003・1・12 またもとのサイクルに戻り、明日は15句の句会。声が出ないけど咳が出る
ので半分休もうかと思いながらどうやら15句捻出。明日はお天気がよいらしい。
2003・1・8 句会に出席のため早くお帰りになる真木子先生の「3句で2回なんて恥ずかし
くて人に言えません!」というご意見で、朝食後にまたまた3句の句会。
「炉話やかっぽの竹を灰に挿し 和子」 その後はローカル線でもっと奥へ
とか近くを散策とかいくつかのコースに別れ、私と由美子さんはのんびりコースで
「びーどろ館」を見学して帰ってきた。帰りの新幹線はかなり混んでいたけど
奥地の方へ行った方たちは無事だったかしらん?
2003・1・7 なれぬラッシュアワーの電車に乗り集合。バッグの紐と思ってしっかり握り
しめていたのがよその人のコートのベルトだったものだから、降りようとした
人を引き止める結果となったり。上越新幹線は高崎から長いトンネルをふたつ
抜けると雪景色になる。空は快晴。ホテルから遠くに谷川岳が真っ白にに見える。
「あそこに行こう!!」と決定。(俳人って何て大胆なんだろう?)5人乗りのタク
シーに6人づつ乗り、ロープウエイで天神平へ。谷川岳の頂上が間近だ。
ものすごい斜面にはスキーやスノーボードの人たち。夜は食前と食後に3句づつ
という句会。 「軒氷柱谷川連峰透けて見ゆ 多重子」
2003・1・6 初句会も無事(?)すみ、今日は酔芙蓉の1月の俳句も送り・・・・明日は
朝9時何分かの上越新幹線で「月夜野」というところへ行く。いつものこと
だけど、決まった列車に乗るというのはかなりプレッシャーだ。乗り損ねる
夢を見たりして。そしてやたら早めに行ってしまう。病名がつくかも知れない。
2003・1・1 新しい年のはじまり。お屠蘇・お雑煮・おせち料理といつものお正月。朝の
うち少し雪がちらついてすぐ止んでしまった。昼間は賑やかだったが、夜は
静かになった。ちょうど3チャンネルで、去年の「三大テノール」のコンサート
をやっていた。12年間いっしょにやっているということだが、新聞に「最後に
なるか」というような見出しがついていた。ちょっと寂しい。
2002・12・30 インターネットで申し込んだ1月7日の上毛高原行きの切符を取りに行った。
みどりの窓口には列ができていた。お掃除もカタがつき、明日はおせち料理
の仕上げ。毎年楽しみに手伝ってくれるメンバー(?)がいるので助かる。
全くひとりで作るというのはけっこう孤独だ。どうせなら楽しくやりたい!
2002・12・28 天気図をみると日本海側は雪だるまがいっぱい。さすがに寒い!といって
何もしないというわけにもいかないので、お正月のお重やお屠蘇の道具を
箱から出し、門松などを買ってきて飾った。そういえば・・・クリスマスツリー
を片付けていたら、全部やられたと思っていたチョコレートがひとつだけ残って
いた。さて・・・・・今年はもう俳句を作らなくてもよさそうだ!あと3日だけど。
2002・12・26 最後の句会も終って年賀状を作ろうと、古いパソコンにあった住所をプリント
していたらいきなり青山の名簿の「G」さんのところでプリンターが止まって
しまった。新しいソフトに住所はないし・・・・困った!!
2002・12・24 クリスマス・・・・といってもまず食事作り。今回は2・3日前から人口が膨れ
上がり、肝心のデイナーを作る前にダウンしそうだったが、何とか手際よく
仕上がりひと段落。お皿を全部洗い終わったのが10時半。ほっとしておたま
じゃくしとクリスマスの町へ吟行に。自分の教会の礼拝はとっくに終っている
ので深夜礼拝のあるカソリックのよその教会へ・・・・と思ったら事件が勃発。
「一般車両進入禁止」というところに進入してしまい、運悪く出たところが交番
の前。もちろん停められて・・・・・。しばし交番に入っていたおたまじゃくしは
不幸中の幸いというか切符も切られずに釈放。教会へ行く道を丁寧に教えて
もらって、いざ出発と思ったとたん、またまたおまわりさんがすごい勢いで停止
命令!おたまがおまわりさんのボールペンを持ってきてしまったのだ。
「交通違反の上に窃盗の罪がプラスするところだ」といわれながら、教会と
反対の方向へ発進して礼拝はあきらめて帰って来てしまった。
2002・12・16 14・15日と淡島で恒例の忘年会があった。富士山の全景と夕日が沈むのが
見える素敵な島だ。ときおり狸がテラスを横切って行ったりする。今年は初めて
メンバー20人が揃った。もちろん耳が割れそうに賑やかなことはいうまでもない。
帰りは満月ご夫妻・充意ご夫妻と箱根に寄り道をした。雪があちこちに積もって
いて通行出来ない道もあった。硝子美術館に行ったら、ちょうどランチタイムの
イタリア人のグループのカンツオーネを聞くことができた。中庭の池にはきれいな
水鳥がゆったりと泳いでいた。雪の富士山も鮮やかに見えた。
2002・12・12 22日の冬至までは日が短くなる一方だ。夕方、駅まで買い物に行った時はまだ
5時前だというのに真っ暗。一本道のゆるいスロープの向こうにはライトアップされ
た街路樹が見える。和菓子やさんに行ったら「愛子さま饅頭」やサンタクロースの
生菓子が売られていた。帰り福引を引いたらチョコレートが当った。
2002・12・9 目が覚めたら雪が積もっていたのでびっくり。句会の日だったが「大雪で中止」と
いう連絡もこなかったのででかけた。15句づつ持ち寄った俳句の選をしていて
「甘いものがほしいな〜」と思っていたら、真木子先生が吟行先の広島から紅葉
饅頭を持って新幹線で駆けつけて下さった。気持ちが通じたのだろうか?
雪は帰りにはおおかた消えてしまった。明日もまた降るだろうか?
2002・12・4 雨ということはわかっていたが、また、よはなさんとおたまじゃくしの3人で大山
に行った。なぜ大山か?というと、そこにおたまじゃくしの祖父の銅像が建って
いて、実は私もおたまじゃくしもまだ一度も見たことがないからだ。「見たことが
ある」よはなさんに案内してもらって、普通は歩いて登るという参道を車で登った。
水曜日は大山阿夫利神社は休みかと思うぐらい人もいず、お店も閉まっていた。
銅像は写真で見ていたから知っていたが、怖ろしいことにうしろに義母の句碑が
建っていた。「三十年を山祇嘉する登拝かな ふみ子」。銅像は江戸消防懇話会
の方たちが建てて下さったのだ。やっと開いているお店を見つけ、お豆腐を食べて
帰路についた。少し遅めの紅葉が、それでも雨の山をバックに鮮やかだった。
2002・12・2 1日(日)に大井町の臨海線と埼京線が開通した。前日からパレードや大道芸
などで賑わっていた。まだ見ていないが、何でも駅から直接うちの会社にこられ
るとか?大井町句会に便利!これで新宿からお台場まで23分(正確ではないが)
で行けるようになるらしい。ヨーカ堂の入口で果物やお花をセールしていたので
いちごとポインセチアの鉢を買った。持てたらもっと買ったのだけど!
2002・11・20 池上の本門寺で毎月満月の日にコンサートが開かれる。今回は「神崎愛&河合
隼雄〜フルートで巡る世界の『月』の旅」というテーマだった。私は河合隼雄
ファンなので 由美子さんを誘って行ってみた。心理学者なのにフルートでコンサ
ートができるなんてすごい!「月」にまつわる日本の神話のお話もあった。終わっ
てすぐ出ようとしたら、お坊さんに大本殿のドアをびしゃっと閉められたのはすごく
不気味だった。食事の予約がしてあったので急いだのだけれど。そして開いた
とたんに飛び出したら玄関のところで由美子さんがよその人の靴をもってきたこと
に気がついた。 みんな席を立っていたので、相手がわからなかったら、全員が
帰るまで待たなければならないと一瞬目の前が真っ暗になったが、相手がまだ
席に座っていてくれたのでよかった!日本でコンサートのあと食事をするのは
たいへんな苦労だ。中華料理はおいしかった。
2002・11・19 紅葉を見にということで、よはなさんとおたまじゃくしの3人で出かけた。ナビに
「河口湖」と入れた。中央高速に入る道は知っているのだが、ナビに従って行って
みたらとんでもない道を廻った挙句、調布インターに着いた。何でも高級なナビだ
そうで、余分なことまで考えてくれるらしい。紅葉は真っ盛り、真っ白な富士山の
全景を見ることができた。ナビを消して、気のおもむくままに西湖・精進湖・本栖湖
とまわった。週日のせいか人もほとんどいなくて、山の紅葉が湖に映り、静まり
返っていた。帰り道は夕焼けを見ながら帰ってきた。そういえば明日は満月です。
2002・11・18 今年は少し早めにクリスマスの飾りをした。ツリーに丸いチョコレートをぶら下げ
たら、何だか毎日少しづつ減っているようだ。
2002・11・17 何年か前、今の天王洲の近くにJT(日本たばこ)の大きな跡地があって、そこに
ダイエー系の大きなスーパーができた。何回か行ったがそのうち消えてしまった。
そこには臨海副都心の方から電車が通って、埼京線が大井町に入り、そこでつな
がることになっていた。平成12年に出来上がる予定がのびて今年の12月には
やっと完成。ずっと空き地だったその土地にジャスコという大きなスーパーが出来た。
品川の海岸口や汐留にも巨大ビル群が新しく林立。天に届くほどだ。ここにびっしり
人が入って・・・・・と考えたら胸がつまりそうになった。
2002・11・7 少しヒマになったので、10日の結婚式で撮った写真をメールで送ったりした。ひとり
携帯に送ってという人がいたのでトライ。二度目に成功。そういえば・・・ベッカムの
写真送ってもらって喜んでいた人がいたっけ。夕方コンサートのチケットを取りに
駅の近くのローソンまで行った。実はコンビニでチケットを受け取るのは初めてだ。
洗足の駅には旧式な本屋さんが一軒しかない。CD屋さんもない。他のものはある
のだけど。帰りに図書館に行ったらカードを忘れたことに気がついた。残念!
2002・11・13 もろもろの仕事(でもないが)にカタがついて、やっとホームページのバージョンを
アップした。はらはらしながらやっと完成。もう少しマシにしたいけど、技術がついて
いかない。俳句と同じだ。紅葉が美しくなった。吟行にでもいかなくては・・・・
2002・11・7 今日は立冬。急に寒くなった。今週末は冠婚葬祭で忙しいのでホットレモンを
飲みまくって調整している。風邪をひいたらなかなか直らない。この夏「薬」を飲んで
よけい調子が悪くなったので(私の偏見かもしれないが)なるべく自然治癒を目指し
たい。このホームページの作成ソフトのバージョンアップ版をインターネットで買ったの
だけど、まだ実行に移せないでいる。まとまった時間が必要だし、うまくいかなかったり
するとコトだ。ところで!月下美人に小さい蕾がついている。こんな寒さでは開花までは
いかないだろうと思うけど。家の中に入れたら咲くかしら?
2002・10・13 昨日浜離宮朝日ホールのコンサートに行った。チェロはビルスマ、ヴァイオリンは
奥さんのヴェラ。アインシュタインロマンのようなチェリストと青いドレスのヴァイオリ
ニストの組み合わせはちょっとミステリーっぽい。ベートーベンを2曲。最後の「英雄」
は拍手の嵐だった。指揮者はでっかいドイツ人で、まるでピッチャーのようだった。
2002・10・11 きゅうに寒くなってしまった。夕方落葉を掃いていたらご近所の方に朝顔の
ことを聞かれた。去年みごとな青い朝顔がいっぱい咲いたのに今年は赤紫と
白の小さいのが少し咲いただけ。葉っぱも小さい。あの青い朝顔の種を蒔いた
のだけど。お隣の子孫もやっぱり青いのは咲かなかったようだ。魔法が解けて
しまったのだろうか?いちど専門家に聞いて見なければ。専門家などいるかしら?
2002・10・10 おたまじゃくしの手伝っている音楽事務所にベルギーのチェリストのおじいさんが
コンサートのためにやってきたそうだ。小説も書いているとかでモデルはやはり
音楽家の奥さん。奥さんに見せると怒られるので原稿はいつも旅行カバンに鍵を
かけて持って歩いてるとか(時々鍵をなくすらしい)。その人に俳句の話をしたら
さっそく英語で一句詠んだとか。何でも「鳥が飛び立って木々が揺れた」というような。
「あなたの俳句を教えてくれ!」というので、お得意の「叱られて蛍袋の中にゐる」
を英訳したらしい。でも・・・・・外国の蛍袋はもっと大きくて微妙に違うのだとか。
それでも感激してくれたらしいが。
2002・9・25 十五夜の日はあいにく薄い雲がかかっていた。遅い時間に佃島まで行って
みたが滲んだような満月が見えただけだった。十六夜、立待月、居待月、
寝待月、更待月・・・・と名前は素敵だがなかなか見ることは出来ない。
時々雲の間からあらわれたと思うと、すぐ見えなくなってしまう。
「雪・月・花で50句づつ・・・」なんて誰が決めたのだろう?
2002・9・20 明日は十五夜。今日は雲ひとつなく月が鮮やかだ。時間によって月の見える
部屋が変わるが、遅い時間から月は私の部屋のものだ。今おたまじゃくしに
借りたパウロ・コエーリョの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」を読んでいる。
2002・9・17 昨日の夕方、品川から五反田に抜ける道で交通事故に出くわした。かなり
雨が降っていた。いきなり「どん」という大きな音がした。3台ぐらい前の車か
対向車らしかった。いきなり人だかりが出来て車もつまってしまった。しばらくして
車が移動し始めたが、前半分がべこべこになった軽自動車、そして中央ラインの
ところに人が倒れていて、つぶれたオートバイが移動された。ただ倒れた人は
寝たままだったが携帯を耳に当てていたところをみると命に別状はなかったようだ。
どんなふうにぶつかったのかはわからなかったが、しばらくは動悸が止まらなかった。
雨の日そしてスピードは怖ろしい。とくにオートバイはガードがないのだから。
2002・9・14 うまくいった!!今日はこのあたりのお祭りで子供のお御輿がうちの前を通って
行った。小さい子供たちが両親に連れられて行列を作って歩いて行った。
今日は涼しいというより、肌寒い感じだ。「季語」と「俳句」を書き換えなくては!
2002・9・14 パソコンをリセットしたのでまた一から出直しだが果たしてうまくいくだろうか?
2002・9・7 先日お茶ノ水にある病院にお見舞いに行った。父や母、祖母たちのお見舞いに
通ったことはあるが病院というのはいつも恐怖だ。「救急車入口」などと書いて
あるだけで恐ろしくなる。あざみ野まで梨園を見に行った帰りにはしごをしたもの
だから、2・3日は使い物にならないくらいくたばってしまった。神田川が黒々と流れ、
聖橋が映っている夜景はきれいだったが、大きな病院が二つもあって、その窓に
明かりが灯っているのはちょっと重たい風景だ。あんなに沢山の病んでいる人が
いるのだから。ここ2日ばかり雨が降って少し涼しくなった。
2002・8・25 暑い日もあるけど、もうすっかり秋という気分。先週蓼科に行ったが、コスモス
や花すすきが群生し、赤とんぼが所狭しと飛廻っている。標高2000mの所まで
ケーブルで登ったがとても寒かった。新しい本を見つけられないので引越しの時
持ってきた三島由紀夫の「豊饒の海」4巻を読み直してみた。この本は発売された
時に買って読んだのだが、時を経て読んでみると新しい発見がある。それはとても
ひとくちでは語れないが。彼の文章は非常に美しい。自然を描写するときは特に。
「季語」がふんだんに駆使されてているので「もしかして俳句を・・・?」と思ったが、
辞世の句は短歌で詠まれている。それと、知らなかったが本のカバーになっている
絵は彼の奥さんの作品だ。優れた作家だとは思うが、好きな作家として名前を
挙げられるかどうかは疑問だ。私に未だ読解力がないせいかも知れないが。
2002・8・17 今日は銀座句会の最終回。M子さんといつもの会場の近くで優雅に昼食。
「それにしても誰も現れない・・・・・?」と思っていたらおたまじゃくしの電話で
会場が変更になったことが発覚。あわてて歌舞伎座のそばのレトロな会場に
駆けつけた。「八月の鞄につめるものすこし 伸」。重たいものは何もない出発。
さえぎるもののない太陽の下、八月は新しい出発にふさわしい。
2002・8・14 暑いながらも時々涼しい風が恩恵のように窓から入ってくる。どうも冷房は
苦手なのでわずかの風でも心地よい。先日「胃カメラ」というのを飲んだ。
そしてまたまた薬が増えて、まるで宇宙飛行士になった気分だ。現代人なん
だからどこかに故障があるのは当たり前。動物園のゴリラにだってストレスは
あるのだから。朝顔が次々と咲き出した。今咲いているのは白と赤紫。
2002・8・12 今日は句会。この勉強句会は最初10句で始まり、15句になり、そしてついに
17句になった。最初は増えるたびに「えー?」と悲鳴が上がったが、やめる人が
いないというのはすごい!中毒症状なのだろうか?
2002・8・9 白い朝顔が一輪咲いた。庭のあっちこっちに蔓を伸ばしているのでそのうち
次々と咲き始めるだろう。去年は玄関のところに咲いて(というかはびこって)
近所の評判になったくらいだ。蕎麦の花も実が収穫出来るのではないかと
くわしい人に聞いてみたら「お蕎麦」になるまでには気が遠くなるほど手が
かかるらしい。「新蕎麦や・・・・」という俳句にしようと思ったが無理のようだ。
2002・7・30 佐島の天神島というところに浜木綿の群生しているところがあるというので
吟行に行った。18人で車4台。逗子・森戸・一色と賑やかなところからちょっと
外れて、人も少なく素朴で綺麗な海だった。句会場の旅館(民宿?)には小学生の
一団が泊っていた。入り口にはたらいに水が張ってあって小さな靴がびっしり
あった。そこで足を洗ってあがるらしい。賑やかな声が聞こえていた。
2002・7・29 暑さのせいで、妹に送るつもりのメールを間違えて武久さんに送ってしまった。
ちょうど作句中だったのだろうか?びっくりされたようだ。気をつけなくては!
2002・7・26 隅田川の花火をテレビで見た。もちろん本物とは迫力が違うが、いろいろな
角度で見ることは出来る。中継のゲストに超茶髪の若い歌舞伎役者がいた。
意味不明の歓声を上げている他のゲストと違ってほとんどしゃべらなかったが、
感想を聞かれて「江戸の町を背景にこの花火を見て見たいと思う」と答えた。
「そんなこと考えるんだ」と感心したとたん、アナウンサーに「でも、この都会の
ビルやライトアップされた橋の中で見るのもいいですよね!」といわれてしまった。
去年は東京湾花火を船で見ることが出来たが、今年はその催しが中止になって
しまった。楽しみにしていたのに残念!!混まないで見るところがあるといいけど。
2002・7・26 お中元に黒豚のしゃぶしゃぶ用を頂いたのでおたまじゃくしといっしょに食べた。
宗教には関係ないのだが豚肉は苦手で、あまり使わない。みんなに「おかげで
豚肉が食べれない!」といわれるが。でも思ったよりさっぱりしておいしかった。
なぜ嫌いかというと、あの白い脂身がついたとんかつを無理して(というかきどって)
食べる羽目になったことがあって、その時の悪夢を思い出してしまうからだ。
ベランダの蕎麦の花が満開になった。白い小さい花がびっしり咲いている。
2002・7・24 今日はまた大井町の句会。賞品が10個もあったのでみんな熱が入った。
中でも家庭菜園で収穫したという「黄寿」という名の大きな黄色いトマトが4つも
あって、狙いはそこに集中した。2個は両先生の手に落ち、3個目は私の隣のY子
さん。(渡す前にもう手が伸びていたが)。最後のひとつは同点だったベテランの
お二人の争いになったのでじゃんけんをしてもらった。全員の前で壮絶なじゃん
けん合戦を繰り広げた挙句M子さんの手に落ちた。聞くところによるととてもおいし
かったとか。こんどはトマトがもらえるようがんばらなければ!!
2002・7・19 病院に検査に行った。自慢ではないがおたまじゃくしを生んで以来お医者さんに
かかったことはない。健康に自信過剰でもあったが、どこも悪くないのに大きな
病院で品物のように廻されるのは何といってもおそろしい。・・・・当然何箇所か
ひっかかって薬を貰うはめになった。おまけに「胃カメラの検査をしたことがあり
ますか?」と聞かれ「ありません」と自慢げに答えたら「いちどやっといたほうが
いいでしょう」と受話器をとって専門医に予約を入れられてしまった。「胃なんか
一ミリも悪くありません!」といったのだが間に合わなかった。8月の半ばの予約。
おかげで何だかぱっとしない夏になりそうだ。検査したり、薬をもらったりしている
うちに本物の病人になってしまいそうだ。明日も句会。
2002・7.17 二階のベランダに置いた蕎麦に小さな白い蕾が出た。「蕎麦の花」は秋の季語。
朝顔の蔓も伸びてきた。暑い毎日だが、もう秋はどこからか近づいてきているの
だろうか。明日は句会。集中してあるのもきついけれど、ばらばらにあるのも
けっこうきつい。まあどちらにしても楽というわけではないが・・・・。
2002・7・13 月下美人が咲いた。おたまじゃくしとお迎え火を焚いていたら、月下美人の
親元である前の家の方が「今夜咲きます」と教えに来て下さった。なんと
そこの家では16輪もの花が咲きそうだ。離れていても同時に咲くというのは
すごい!8時半ぐらいから咲き始めた。あわてて電話。とにかく6人集合。
「句会を!」ということになり、出句は自由、4句選、合計24句。(詳しくは酔芙蓉
7月号に)。「俳人の集ひて月下美人かな 作者不詳」というへんな句に点が
はいったりした。我が家の1輪の月下美人は、解散の1時には大輪の花を大きく
広げていたが・・・・次の朝には可哀想な姿で萎んでしまった。
2002・7・10 台風が来るという予報だが、門前仲町の吟行句会があった。11時集合。
混むといけないということで、さっそくお漬物やさんのお茶漬けに直行。
深川不動の通りはおせんべやとかお菓子やとか魅力的なお店がいっぱいある。
句会場に行ったら先生が「今日の眼目はキササゲの実と南京黄櫨の花ですよ。
ワハハ」と教えて下さった。どうもお茶漬けがばれているらしい。たしかに富岡八幡
の前の通りに大きな葉っぱのキササゲの木に隠元豆のような実がなっていたっけ。
30人ものにぎやかな句会だった。この吟行をきっかけに「富岡句会」が始まるらしい。
帰りはもちろん、お漬物とおせんべいを買って帰った。雨がすごい降りになった。
2002・7・8 今日は15句の句会。昨夜帰ってからと朝、がんばって「七夕」で15句作った。
終ってから先生に返していただいたプリントに何やら赤い文字で書いてあった。
あまりにも達筆で読めないので、他の方に見てもらったがやはり読めなかった。
仕方がないので先生に読んでもらった。「人事句、格調ともなわず」だそうだ。
もう一行書いてあったのは先生ご自身にも読めなかった(?)。お化け屋敷の
句を入れたのは失敗だった。まったく苦労が多い!!
2002・7・7 今日は七夕。平塚の七夕祭を見に行った。商店街の大通りは大きな七夕飾りで
いっぱいだ。ちょうど日曜日ということもあって人の出もすごい。歩いて居たら
おばけ屋敷があったので由美子さんとこわごわ入ってみた。真っ暗な細い通路を
行くと、黒い幕の中からいきなりおばけが顔を出した。二人はびっくりして「ぎゃー!」
と叫ぶと、おばけはすぐ引っ込んでしまった。そしてまたすぐ出てくると「こっちのほうが
がびっくりするじゃないか!」といわれてしまった。そして次はどんなものが出てくるかと
びくびしながら「どっちの道?」といっていたら、もういちど出てきて「あっち!」と教えて
くれた。外に出て気がついたのだが、中の叫び声はマイクで外に流されていた。
果たして、おばけにびっくりされたというのは自慢になるだろうか??
2002・7・5 またウイルスが出回っているのだろうか?一昨日から今日までアンチウイルスの
青い地球のアイコンに赤いビックリマークがちかちかと点滅している。
開いて見ると「トロイの木馬」のアクセスを遮断しました・・・・と書いてあった。
びっくりして、パソコンを閉じた。私はケーブルなので、いつも繋がったままなのだ。
今までウイルスというのは子供の本に出てくる「虫歯」のバイキンのような黒くて
槍を持った姿をイメージしてきたが、「トロイの木馬」のウイルスは、きっとピノキオの
ような顔をしているに違いない。研究機関(?)ではウイルスを飼っているそうだ。
どんなところで飼っているのか知らないが、もし蓋がずれていたりして、そこから
逃げ出したりしたらどうするのだろう?それにしても「トロイの木馬」なんてずいぶん
センスがある名前をつけたものだ。まえ送られてきたウイルスは「エデンの園」だったし。
2002・7・3 雨は降らないけれど湿気っぽい一日。駅の近くの古本屋を通りがかりに眺めたら、
「男の子を殺した母親たちの話」(たしか?)というすごい名前の本があった。
なにげなく著者を見たら k・k と何やらとても懐かしい名前。何と、それはかって
お世話になった白金にある受験塾の先生の名前だった。ぱらぱらと見たら「いかに
母親が男の子をダメにしているか」という受験の本だったので安心した。恐ろしくは
あったが、とても良い先生だった。裏に大きく写真がでていたのにはちょっとびっくり!
去年近所で頂いた「月下美人」が大きく伸びて蕾が6個も出ている。たった一晩しか
咲かないこの花が咲いた晩、句会をする・・・・というのはどうかしら?
2002・7・1 昨日でサッカーも終わり急に静かになった。プランターに蒔いた蕎麦の芽が
びっしり出て、4・5センチになった。間引くとおしたしにできるらしい。でも間引く
のはちょっともったいない気がするけど。ミニトマトが赤くなって6個とれた。
青唐辛子もお素麺に入れられるくらいの収穫はある。あとバジルとチャイブ。
・・・・ちょっと自給自足っぽい。2・3日前、お寺の大欅に青葉木菟(あおばづく)
がいた。昼間だったので眠っていたのか、顔までは見えなかった。
樹々遠くして青葉木菟遠きかな 鷹羽狩行
・・・・この俳句のようにずいぶんと大きな欅だったからなおのことだ。帰って写真の
歳時記を見たら可愛い顔をしていた。
2002・6・26 今日は大井町句会。1ヵ月の早いこと!ブラジル対ドイツ戦があったせいか
出席も少なめ。8時に句会が終ると飛ぶように帰った人もいた。(誰か?)
雨がつづいてぱっとしないが植物の成長はすごい。朝顔の蔓は一日に3cmは
伸びているという感じだ。山形のお蕎麦やさんから来たダイレクトメールに
「蕎麦の花を咲かせませんか?」と種が入っていたので、プランターに蒔いてみた。
ほんとうにあの白い可憐な花が咲くだろうか?
2002・6・25 韓国も負けてしまった。しかしあの熱気はすごい。とても日本の比ではない。
日本・中国・韓国は一見同じような顔をしているが・・・・顔が似ているから
といって心まで同じかというと、これがまったく違う。近い国ほどその違いに
ついて勘違いが多いのではないだろうか?秋に済州島に吟行があるらしい。
ウズベキスタンには行ったが・・・・済州島に行くのはちょっとびびる。
2002・6・21 突然日帰りで新潟に行くことになった。子規と同じ病気で療養されて
いる俳句の方をお見舞いに行くためだ。
昨年、姫早百合を見に行った時にお会いして以来、その時も具合が
悪かったのだが・・・もう一年も入院されている。
とてもお元気そうで安心した。楽しいおしゃべりを沢山して沢山笑った。
帰り道、日本海を一望出来るところで夕日の沈むのを待った。7時まで待ったが
夕日はまだまだ沈みそうもない。そうだ、今日は夏至でした!
2002・6・20 今日は句会だった。句会のあとは二次会。といっても区民プラザの
テイールームで「わはは」と談笑。そういえば、銀座の句会では三次会
というのがある。先日楽しそうだと出席した人が、席題を二句作らされたと
びっくりしていた。逃げて帰ろうとした人もいたらしいが・・・。
2002・6・18 サッカー負けてしまった。試合に勝敗はつきものだからしょうがないが。
一日中雨だった。庭のくちなしの花が満開。窓を開けると部屋中が
くちなしの匂いでいっぱいになる。
2002・6・16 ひるまテレビをつけたら「イングリッシュ・ペーシェント」という映画を
やっていた。これは映画館でも見たし、テレビでも見たけどまた見て
しまった。印象的なシーンはたくさんあるが、壊れかけた教会の天井から
ロープを下げて、手に発光筒を持って、ブランコのようにして壁画を見るシーン
は素敵だ。もっともこれは映画の中のほんの小さなエピソードなのだけど。
去年「鬼灯市」で買った鉢に新しい葉が出て、青い鬼灯が二つも生った。
2002・6・15 今日は銀座句会。この句会は「青山」の中では平均年齢が一番若い。
活気があって楽しい句会だったのだけど、8月に終ってしまう。
「青山」の中から、新しい結社がひとつ生れるという出発のためだ。
句会がなくなってしまうのは残念だけれど、しかたがない。
「新しい酒は新しい皮袋に」と聖書にも書いてあることだし・・・・
2002・6・14 チュニジア戦に勝って決勝進出。サッカーもますます盛り上がって来た。
試合前におたまじゃくしが家にある古いビデオデッキを取りに来た。
何でも、会社の大きなスクリーンで試合を映すとか。
あとで聞いたら、銀行の人や通行の人まで集まって観戦したのだとか。
会社の前にあるパソヴィジョンには「打倒0000!」という文字を流して
いる。ちなみにそのパソヴィジョンは充意さんの会社の製品。
サッカーが終るまでは本業の宣伝はストップらしい。
大変!!明日は句会でした。
2002・6・11 梅雨入りとかで、とても蒸し暑い一日。暑いのは嫌いではないが、
湿気は苦手だ。体重が二倍になったような気がする。
庭に生ったという梅を沢山いただいたので、手元にあったお酒と薄茶色の
お砂糖で梅酒風のものを漬けた。氷砂糖でないので奇妙な色になったが、
果たしてどんなものができるやら。・・・・・でも実は、お酒には体質的に弱い方
ではないのに、梅酒だけは何故か眩暈がする。美味しいとは思うのだけど。
2002・6・7 酸素のぶくぶくを3つもつけてやっと金魚が定着した。朝顔の苗も植えたし、
「SEED」も全巻(9巻)読み終わった。さて月曜日の句会の15句作らなくては。
何だか「ゼロからの出発」という感じ。
2002・6・2 赤い大きな金魚が死亡した。やっぱり、金魚の大きさといい密度といい
無理があるのかも知れない。・・・・でも横浜からはるばる運ばれて来た
のだから、他へ移すわけにもいかない。庭の木の下に埋めた。
そこに何かの蔓が伸びている。どんな花が咲くのだろうか?
2002・5・31 学生時代の友人の良枝さん来宅。AM11:30〜PM9:30まで
おしゃべり。話すことは沢山。そういえば、鎌倉から来る彼女と、
大森から乗る私は、品川で待ち合わせて、通学の行き帰りによく
おしゃべりをしたっけ。もとはといえば、旧姓がどちらも「松」がついて
いたので、出席簿がつづいていて、隣同士に座ったのだ。
屋根まで伸びそうになっていた「もっこう薔薇」の芽を短く切ってくれた。
「知らないわよ」といっていたけど・・・・・大丈夫かなー?
2002・5・30 夕方、玄関のところで花の手入れをしていたら、犬の散歩の方に挨拶を
された。挨拶を返してから気がついたのだが、雅子様のお母様と
ショコラちゃんだった。
2002・5・27 次男が「SEED」というマンガを持ってきてくれた。マンガはどちらか
というと苦手だけど、この作者のマンガは面白い。
過去に「マスターキートン」というのを読んだ。これは家族中はまってしまった。
何かメッセージがあって、それを伝えるために「マンガ」という手段を選ぶ
というのはかなり勇気があると思うのだけど。このマンガのテーマは自然保護。
2002・5・26 午後から自由が丘に買い物に行ったら、大夕立にあってしまった。
ぽつぽつと降り始めた時に駐車場へ直行すればよかったものを、
本屋に寄り道したばかりにびしょびしょになってしまった。
本はビニール袋に入っていたから濡れなかったけれど。
2002・5・24 今日でひと段落。しばらく左団扇。夕方雷が鳴った。打ち上げか知らん?
2002・5・23 今日は金魚をいっぱい貰った。どさっと。たぶん15匹ぐらい。
大きいのは30センチほどで、羽衣のような尾をひらひら
させている。今までいた5匹の金魚は小さくなっている。
(もともと小さいのだけど)・・・・なんでも池に金魚が増えすぎた
のだとか。金魚鉢の金魚密度がちょっと心配!
2002・5・22 幹事をしている句会が終ってほっ!でもこれであとは笑って
暮らせると いうわけではないところが・・・・・残念。
このサイクルはいったいいつになったら楽になるのだろうか?
沙羅の花の蕾もふくらんできました。
2002・5・21 長い間壊れていたホームページを悪戦苦闘の末やっと再開。
明日は大井町句会だというのに・・・・・それどころではない。
きっと、ない神経をつかっているからでしょう。
俳句も・・・・・かな?